当寺は、弘仁13年(822)に開基されたと伝えられており、鎌倉時代に五代執権北条時頼公(最明寺入道)が諸国巡歴の折りに宿をとったと伝えられている由緒ある寺院です。
本尊は阿弥陀如来、脇侍として観音菩薩、勢至菩薩が安坐されております。現在の本堂は平成二年に建立。 建立について はこちらにてご紹介しております。
時頼公は、山頂に登り夕陽に輝く波静かな海や、老松の枝ぶりの見事さに魅せられて歌を詠みました。
「御宿せし そのときよりと
ひととはば 網代の海に 夕影の松」
この句にある御宿(みやど)せしが地名の由来です。この頃から寺の名前も最明寺と称されるようになりました。
最明寺旧本堂建立時(寛政10年頃)に波の伊八(武志伊八郎信由)によって制作されたものです。
像高42.8cmの袍裳の僧衣を着る僧形像です。宗覚という人が、慶長17年(1612)に逆修供養の為に傳祐上人の66歳の肖像を製作したものです。
法要に用いる仏具で伏鉦の大型なもの。框にとりつけて撞木で鳴らします。念仏などの時に鳴らして調子をとったり、法要開始や終了などの合図に用います。元文3年(1738)江戸中期の作で表面の径は31.2cmあります。
本堂の南側に2本並んで立っています。婦樹は、周囲3.6m、高さは23mで木根は約50枝あり、最も長いものは1.5mあります。夫樹は、やや小さいです。
最明寺は新上総国三十三観音霊場第七番札所、波乗り観音をお祀りしております。おんじゅくの浜は、白い砂が特徴的な三日月型の美しい海岸です。この美しい海岸から童謡「月の沙漠」が生まれました。
また、御宿は若者の間では、波乗りの絶好のポイントとして 知られております。最明寺では、サーフィンの若者の事故が起こらぬように、波乗り観音菩薩をまつり、海の安全を願っております。最近では、「商売が波に乗る」ということで、地元の商工業者や会社の経営者の方などがお見えになることも多くなりました。御宿へお越しの際は、是非「波乗り観音菩薩」をご礼拝ください。
開運波乗り観音お守り(名刺サイズ)札所にございます。
最明寺は上総国薬師如来霊場第二十四番札所で、元は御宿七薬師の一番です。堂坂の薬師堂には磨崖仏の七仏薬師が彫り込まれており、弘法大師の作と伝えられています。この薬師如来は、漁師が主に漁の安全を祈願したり、目が悪くならないようにと信仰されています。
毎年正月八日には大祭が営まれていましたが、現在は堂坂薬師は崖崩れのため参拝できなくなっており、代わりに境内の薬師堂に参拝しています。境内薬師堂の本尊は江戸時代に建立された薬師如来です。脇侍に日光、月光菩薩・十二神将を従えております。
最明寺の裏山に築かれていた城です。現在は、最明寺から石段を上って散策可能となっております。詳しくは「余湖くんのホームページ」にてご覧ください。